ついに母が喋れなくなりまして

うちの家系で、私の祖父母たちは長生きだ。私には4組の祖父母がいる。なぜスタンダードな2組でなく4組かはまたの機会に書くが、結構な割合でじーちゃんもばーちゃんも長生きの末亡くなった。一番若いばーちゃんは健在でまだ元気にしている。母の妹である叔母と「戦時中頑張った世代は長生きなのかねぇ」と話したこともある。

ところがその子供の世代であるうちの母はガンで早くに逝った。弟である叔父もガンで亡くなっている。一番下の叔父も早期だったが疑わしいことがあった。母の母方の祖母、つまり私の曾祖母(ん~母が続いて分かりづらい)もガンで亡くなっている。隔世遺伝的なものなのだろうか?

おかげで私は、ちょっとした恐怖感はあるものの、毎年同時期に検診に行くようにしている。会社経営だからスタッフたちにもきちんと受けさせてきた。


ドラマで見たことがある。何も分からないままに最期を迎えるのと、自分の余命を知って残された時間を大事に使って最期を迎えるのではその重みが全く違う。その通りだと思う。

母はガンの告知を受けて余命を知ってから、駆け足ではあったが私に託すこと、弟に託すことをそれぞれに伝えてくれた。私には「洗濯機のノズルが詰まるから漂白剤とか柔軟剤は直接ジャっと入れる」「料理の味付けに困ったら出汁醤油入れるといい」なんてことも教えてくれた。その後一瞬親子3人での生活も出来た。夏は暑すぎて親戚の家に顔を出すことができなかったけど、入院してみんなお見舞いに来てくれたし。最後はいい時間を過ごせたのではないかと思う。

母は、これまでの家での生活から告知を受けた後も入院生活に移っても、相変わらずいつものように喋っていた。痛みはだんだん大きくなっていったからその辛さで身体が動かしにくくなったのはある。しかし常にずーっと喋っていた印象のある母のその感じが変わっていないのだけは、少しだけ安心材料だった。

9月19日(木)弟からの報告電話。母の様子に変化が見られてきたとのこと。体温や血圧に変化が見られているそうだ。そのせいでだいぶ弱ってきている。私の方は、前の年に亡くなった東京の大叔父の家族から連絡があり、その旨弟に伝えた。

9月20日(金)また弟からの電話。弟も仕事がありながらその合間に時間を作ってコツコツ通ってくれている。母の血圧の変化が著しい。その後、私も仕事をしながらしばらく連絡を待っていたが、夜のLINEでは「だいぶ血圧が下がってきました」と報告をもらった。そして

「呼びかけても反応なし。昼は微妙に反応あったけど」

ここで私は知った。もう母は話ができない。あの母が喋ることができないのだ。おととい、よくわからないことを言ってはいるもののちゃんと話をしていた母が、もう今日は喋ることができていない。痰も絡んで辛そうだとのこと。持病の喘息も季節の変わり目で影響しているのだろう。

いよいよ本当に最後の覚悟をする。ここからの数日が山場だ。

私は明日まで仕事がつまっている。病院に行ったほうが良いかと弟に聞いたが、何かあれば連絡するから大丈夫と言ってもらった。弟も仕事が立て込み、この日は弟の妻、義妹が8時間も付き添ってくれたらしい。親戚軍団の数名もお見舞いに行ってくれている。

9月21日(土)今日は確か姪がお見舞いに行くと言っていた。甥の方は学校の文化祭があってお見舞いは無理そうだ。弟ファミリーはその文化祭を見に行って、そのあと病院に行くのだろう。また親戚軍団も数名お見舞いしてくれる。私は朝から授業が続いている。しかし明日は休み。そんな感じになってしまった母にちゃんと会いに行かなくては。母に届けたいものもある。


母の最期はいつ来るのか。ここ数日の弟からの報告で、もう間もなくだということは分かっていた。

いやわからない。ここからまた持ちこたえることだってある。なのに私は母の最期がもうすぐだと悟った。なぜそう悟ったのか今でも自分で整理ができていない。もう死ぬんだろうというあきらめでは絶対にない。確信は出来ていないのだが、「自分の親が死にました」と父の時に感じたあの感覚。それを母で再度受ける事になることへのビクビクする怖さが迫ってきていたのかもしれない。

そして次の日。様々なミラクルが起きる母の最期の日を迎える。

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