最後のグラタンを食べまして

以前の記事にも書いたが、母は喫茶店でバイトの経験があるのでコーヒーを入れるのが上手い。それに喫茶店メニューを作っても美味しい。ナポリタンだったり、オムライスだったり、チーズやコーンマヨなどのトーストだったり煮込みハンバーグだったり。あ、あとグラタン!

でも私が実家に戻ってからは、家ではそれらを1から作ることはなくなった。○○用ソースみたいのを買ってくるんだけど、それを調味料で上手く調整して、昔ながらの「うちの味」に作り上げてしまう。それに加えて、曾祖母・祖母から伝わるサバ味噌や肉団子鍋もしっかりマスターしている。以前に「レシピはしっかり残しておいてくれ」とお願いしたが「分量わかんない、テキトー」と断られた。。。もうひと押ししてちゃんと教わっておけばよかった。


9月4日(水)から弟は出張に出かけた。9月7日(土)に帰ってくるという。久しぶりに母と二人だけの生活となった。とにかく何も起きないようにと祈るしかない。

何度も書いているが、安心だったのは母が食欲がなくとも食事をする努力をしてくれたこと。そばやそうめんがやっとなんだけど、それでもそれなりに量は食べていたかな。いつもなら「食べない?」と私を誘いつくるのは母だったが、ガン告知後は私から「いっしょに食べようか」と誘って作るようになった。大葉や海苔を刻んでおつゆを作ってわさびを用意する。涼しげなガラスの器に水を張って氷を入れて、そうめんを流し込む。ま、そばならざるの上だけど。

私は一時糖質を絶っていた。簡単にウエイトが落ちてそれが面白くなっていた。しかしそんなことは言ってられない。母の食が進むように素麺もそばも一緒に食べた。。。ウエイト戻った。

そんな二人だけの時間が数日続き、9月6日(金)は台風で延期していたPET検査の日。PET検査はいつもの病院でなく、別の検査病院に行かなくてはいけない。新横浜ではなく北新横浜。タクシーGOで北新横浜へGO!

タクシーが来る時間に家を出て止まっている場所まで行く。うちはちょっと奥に入ったところなので、通りまで歩いていかなくてはいけない。室内で伝い歩きや杖歩行だから、今日も杖を持っていくよう話したのだが、母は「近所の人に見られて心配されたくない」と拒んだ。心配されたくないというより、「どうしたの?大丈夫?」と聞かれるのが煩わしかったのだろう。私の腕を掴んで、なるべく背筋が伸びるように頑張って歩いていた。

PET検査のシステムはよく知らないのだが、まず薬を入れて数十分安静に過ごして、そして検査に入る。安静にしている場所は病院の奥の部屋で、個別指導の塾のように部屋がいくつかのブースに仕切られていて、その1箇所に通されて横になる。母からここで待ってなくていいと言われたので、私は新横浜駅までウォーキングしてブラブラ散歩して、また病院に戻った。もう母の検査は終わっていた。

「どっかに寄っていく?」「ううん、帰る」

いつもなら二人で外出すると必ずコーヒーを飲んで帰るのが定番だったのに、まっすぐ帰るという。検査疲れもあると思うが、もうそんな気力もなかったかもしれない。帰りもタクシーを呼んでまっすぐ帰った。これでひとまず予定されていた検査は終了。大腸がん検査はパスしてしまったけど。

母はホッとしたのか帰ってすぐにこんなことを言った。「グラタン食べようかな」

素麺とそばの生活だった母が急にグラタンと言い出した。そういえばスーパーでチンするグラタンを買ってきていたんだった。「あー痛いあー痛い」と言いながら素麺やそばを食べていた時とは違う。まるでガンになる前の母が戻ってきたかのように美味しそうにグラタンを食べていた。

明日は弟が帰ってくる。弟がいない間の数日、母に何事もなく乗り切れたと、また私は「守られた」と感じる。思ったより元気に、また弟を迎えられそうだ。


このグラタンの後、その日の夕食にまた素麺を食べた。結局それが自宅での最後の食事になった。

まさかこの次の日、弟が帰る日に救急車を呼ばなくてはいけなくなるなんて。

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