2024年6月。いよいよ私も母の体調に異変を感じるようになる。とはいえ、まさかガンを患っているなどということは考えていなかった。しかし間違いなくこのあたりから完全に「いつもと違う」を感じていた。しかし母は元気。体調は悪そうなんだけれどもペラペラしゃべっているときは、かつて大叔父から「スピーキングマシーン」と言われていた母のままだった。
母は若い頃から“誰かに食事を作る人”だった。
妹弟にご飯を作る時代があって、大工をしていた父を始め職人たちにご飯を作る時代があって、そして私たち兄弟や祖父母にご飯を作る時代があって。曾祖母(母の祖母)や祖母(母の実母)から引き継ぐ味をマスターしながら、さらに自分のオリジナルを加えて、ついに私や弟にとっての「おふくろの味」が完成するのである。
その代わり、母は自分の食事には無頓着。
特に私が実家に戻ってからは、歳を重ねたせいか自分のための食事はいい加減になった。パックのご飯あっためて何かぶっかけご飯にしてしまうとか、カップラーメンで済ましてしまうとか。だからちょくちょく「胃の調子が悪い・・・」と言うことがあった。かかりつけの内科に行っては胃薬をもらってきて治していくというのは、喘息や腰痛と同様に「いつもどおり」だったのだ。
だからその異変を感じた時も私も母も「いつものが来た」というイメージで過ごしていた。
また母の胃の調子が悪くなる。しかし、いつもなら1週間くらいで良くなるところ、その異変の際には状況が全く改善しない。もらった薬を飲んでも調子が戻らず、薬を変えてもらっても戻らずで、しまいには内科の先生に「薬効かないじゃん!」と、どうにかしてくれというくらい文句を言ったらしい。
その状態でも少し安心できたのは、倒れたら困るからと何かしら食事を摂る努力をしてくれたこと。当時そろそろ暑くなってきていて、そうめんやそばでなどの食しやすいものを選んで頑張って食べていた。そのおかげで、掃除をしたり洗濯をしたり、時にはみそ汁を作ってくれたりと普段通りに動くことはできていたし、深夜まで1日数本ドラマを二人で観てはその感想を延々と話すことも普段通りにできていた。
だからまさかこんな大病につながるなんて思っていない、私も母も。しかし、さすがかかりつけ医の内科の先生。そういう時はきちんと検査をしたほうが良いのでは?と前年検診をサボったくらいの母を説得してくれたのである。
ここからいよいよ母が亡くなるまでのカウントダウンが始まる。
ちなみに母の「食欲がないときのご飯」は“ぐちゃぐちゃ豆腐”。
ネーミングはどうかと思うが、私も子供の頃から食べている美味しいご飯。小さい豆腐1パックを潰して醤油とごま油をかける。それをアツアツご飯にのっけて食べると抜群にうまい!



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