母はちゃんと送れた。自分と弟夫婦、姪甥、叔母、本家の祖母と義叔母、本家の長男従兄弟夫婦と息子二人、本家の長女従姉妹夫婦、本家の次女従姉妹夫婦、一番下の叔父夫婦、叔父の長女従姉妹夫婦と息子二人と娘、叔父の次女従姉妹、叔父の長男従兄弟、大叔父の長男と次男(母のいとこ)の総勢27名で送った。
その節はみなさん、ありがとうございました。
参列する親戚軍団が次々にやってきた。エレベーターで2階に上がって扉が開くと、すぐ母の写真が飾られている。例のちょっと反則10年前の写真。みんながいい写真だと褒めてくれた。その足で皆、会場内に入り祭壇の前で母と対面する。
とにかく母は、がん告知と自分の余命を聞いてから、その状況を親戚にも話すことはなかった。今こういう状態です、と伝えたのは私と弟から。母本人は身内にも近所の人達にも言いたがらなかった。だから、母の検査や闘病生活を知らない親戚は、あまりに突然の出来事でびっくりしていたようだ。本当に早かったから。北海道にいる本家の次女従姉妹夫婦なんて、信じられないことだっただろう。
母に可愛がってもらってきた従姉妹達はお棺の前で泣いている。
お盆や正月は会えるメンバーと会えないメンバーがいるから、これだけしっかり集まるのはいつ以来だろうか。亡くなった本家の叔父や母がつないでいた親戚たちだから、これから付き合いも薄くなってしまうのだろうか。それは母が嫌がっていた。いつまでも会える時にはみんなで集まって欲しいと願っていた。久々に会って近況報告をし合っている親戚軍団を見て、いっぺんには無理でも、私は折を見て会いに行こうと思った。
会が始まるまでの待合スペース。並べられた椅子の一つに本家の祖母がひょこっと座っている。その隣に座って話しかけた、「ばーちゃん大丈夫?」。若い若いと思っていたばーちゃんも随分高齢になった。祖母は本家の祖父の後妻さんなので、母たち兄弟の本当の母ではない。しかし、「お母さん」「おふくろ」と母たち兄弟は慕っていた。だから祖母も自分に気遣ってくれた子供たちが好きなようだ。叔父の時もそうだったが、ずっと涙を流し「寂しいね、本当に寂しいね。○○ちゃん(母)も○○ちゃん(叔父)もいなくなっちゃって寂しいね。」とずっと泣いている。かける言葉が見つからなくて困った。祖母の背中をさするのがやっとだった。
そんな中、みんなが何をしていたかというと「大折り紙大会」。お棺の中に入れるものだ。折り紙を折って形にしたり、メッセージを書いたりして入れる。何がびっくりって、今の子は「鶴」が折れない。こうやって折るんだと誰かが教え誰かが作る。また別のところでも誰かが教え誰かが作る。そのうち、あんなのも作れるこんなのも作れると、大折り紙大会になったのである。待合スペースも休憩の部屋も折り紙大会で本番を待った。
あともう少しで始まるからと喫煙者が喫煙所に行く。弟は大叔父のところの母のいとこ達をおもてなししている。叔母と本家の従姉妹の夫達二人と一緒に喫煙所に向かった。従姉妹の夫二人に来ていただいたお礼を言う。「急なことで本当にびっくりしました」二人は同じ事を言う。例の親戚で集まっちゃぁずっとしゃべっている母を知っているもんだから、本当にびっくりしたのだろう。でも、母は嫁たちだけでなく、従姉妹たちの旦那の事も「いい子達だ」と言っていたから、来てくれて感謝していると思う。
さて時間です、と会場内にみんなが呼ばれる。いよいよ母の葬儀が始まった。
無宗教の本当の「身内だけ葬儀」にした。MCのおねーさんの指示に従って式が進行していく。お坊さんのお経はないから、しめやかにクラシックが流れる。その中で順番にお焼香をして手を合わせる。弟の次に私が行った。私は母の戸籍に入っていなかったので、書類上本家とは遠縁になってしまう。母が生きているときは、度々「今日は○○家(本家)の正月だからね」「今日は○○家(本家)のお墓参りだからね」とあえて私に言ってきていたから、その母の葬儀で正直座り位置に困った。でも本家の義叔母に「気にしなくていーから」と言ってもらい、一番前に座り、弟の次の焼香となったのである。お数珠忘れてかっこ悪かったが。
お焼香を済ませると「音楽にのせて、皆様お心の中で故人との思い出を振り返り、送ってあげてください」とアナウンスされ静かなクラシックが流れる。みんな写真をながめたり、下を向いたり、涙を流したり、手を合わせたり、そんな感じでクラシックを聞いていた。
な、な、な、ななななな、長くね??
この間に流れた曲は3曲。ちょっと顔を上げて周りを見たら何人かと目があった。「長くね?」…目で会話。ちょっと笑った。
式の打ち合わせの時に「お母様のお好きな曲があれば流します」と言われていた時間なんだけど、曲のセレクトが難しいので“お任せ”にした。それでクラシック3曲になったのだが、結果“お任せ”でよかったかも。母の好きな曲を選んでいたら「ビートルズ」と「昔のディスコソウル」と「ジュリー」になって、葬式なのにノリノリになってしまっていたはずだ。
私が死んだときは「BOΦWYのB・Blue」と「チェッカーズのジュリアに傷心」と「ユニコーンのMaybeBlue」になる。カラオケで歌ってるやつ。
曲が終わって一旦退室の後、出棺準備がされた。再び戻った私たちは、母のお棺に花とさっきの折り紙をたくさんたくさん入れた。みんなで泣いてみんなで話しかけた。もちろん私は泣かない。そして花や折り紙が収まると、お棺が閉められる。蓋を閉めますよと声がかかり、みんなで蓋に手を添える。
そしたら母の妹である叔母が手を離さない。「閉めたら嫌だ」と泣いて騒ぐ。
まあ、もう火葬場に行くわけでこの姿を見るのが最後だからわかるけどね。自分の姉が亡くなったわけだから、そういう気持ちもわかるけどね。でも、弟が1週間打合せして準備して静かに送ろうと頑張ってくれた葬式だから、そういうのやめてほしいんだな…。
「○○ちゃん(叔母の名)、離して!!」
私はまるで生徒を叱るように叔母を叱ってしまった。叔母の手を払って、無事に蓋が閉められた。このあとはみんなで車で火葬場に向かう。火葬場に着いたら、火葬している間はみんなでご飯だ。まずは式次第が終わってホッとして、お腹がすいてきた。
この続きは次々回。みんなでご飯の時間と、その後のうちへの集合の時間が続いていく。
次回は叔母のことを書こうと思う。本当に叔母には葬式でいろいろ事件が起きる。今回の「蓋閉めない事件」のように。今回は事前に、くれぐれもとお願いしておいたんで大人しい方だ。私は叔母のこういうところを改めて欲しいと思っているのだが、ただただ「そういうのが嫌いだから」という感情の問題ではない。そこには真の理由があるからだ。


