初めて3人で生活しまして

うちは複雑な家庭環境だったから、両親と自分と弟の4人家族そろって生活をしたというのは一瞬。両親が離婚して母が出て行き、巡り巡ってのちに我々子供たちは母に引き取られる。そして今いる横浜の祖父母の家にお世話になる。正直、断片的な記憶はあるがどういう流れでこの祖父母のもとに落ち着いたのかは覚えていない。幼いときだったからなのか、忘れたいと思っている記憶だからなのか。

そののち祖父母と住まいが分かれても母が仕事をしていたこともあって、結局おおよその時間を祖父母の家で過ごした。5人家族のイメージ。

よくよく思い出してみると、母・自分・弟の家族3人だけで暮らしたことはない。


母がガン告知を受け、これからの生活をどうしていくかいろいろと話し合った。母は今と生活は変えずにこのままでいいという。しまいには、弟がどうしていこうか真剣に考えてくれているのに、私に向かい「この人が面倒見てくれるからいいよ」と話す。

ええええええええ、自分っすかぁ??いつ倒れちゃうか怖いのに、教室には生徒抱えてるのに、自分一人って、そそそ、それは・・・

すかさず弟が「いやそういうわけにいかないでしょ」ナイスフォロー!

実は一度、弟に連絡をして話したことがある。

痛いし辛いしという状況だったはずなのに、弟が居るときに母はでっかい声でノンストップで楽しそうに喋る。まさかガンを患っているなんて思えないほど。自分のためにいろいろしてくれることやちょくちょく顔を見せてくれるようになったことが嬉しかったのだと思う。ところが弟がおらず私と二人だけの時は、苦しそうだし辛そうだし、声もほそぼそとして元気がない。もうその頃は、私から見たらかわいそうな状態になってきていた。見ている方も辛い。

だから弟に、入院させてあげたほうが良いのではないかと話した。その話をしたのは電話だったし、弟がいる時の母はそんな様子だったし、どこまで辛そうにしているのかは伝わりづらかったと思う。弟は「よっぽど痛くて動けなくならない限り入院はできないよ」というが、私から見るともう「よっぽど」に見えていた。

弟はその話をしたことを覚えてくれていたのだろう。そのフォローは、一人で面倒を見るのは大変だと私を思ってのフォローだった。そしてそんな弟が大きな決断をする。「俺が自分の家族と離れて、ここを生活の拠点にして寝泊りする」。母と私の暮らす家に自分も暮らすというのだ。

いつもなら私は「いいよ、何かあって困ったときに頼るから」と言ったと思う。しかし今回は言えなかった。そうしてもらえると助かると思って、その考えに乗った。やっぱり、母がいつどうなるかというのを考えるだけで怖かった。

数ヶ月前に亡くなった祖母は、最初の入院をする前に何度も何度も救急車を呼んだ。倒れては呼び、動けなくなっては呼び。そんな経験がトラウマになっていて、やっぱり身体が弱っていく母を一人で看ているというのには心底不安があったのだ。そうしてくれると言ってくれたことは本当に心強かった。

そこから弟は毎日仕事のあとに自分の家に寄ってから、途中で私に「なんか買っていくものある?」と連絡をくれたりして、そして私と母のところにやってくる。みんなで何かをするわけではない。ただ3人で過ごすのだ。弟は来ると晩酌をする。私は作った料理をつまみに出して一緒に酒を飲む。母は弟とずっとしゃべっている。またもノンストップ。その合間合間に私も口を出す。そういう時だったからなのか、3人で昔話に花が咲いた。

そう、思い返してみたら親子3人だけで生活をするのは、母が亡くなる直前のこの数日が初めてだった。今となっては、最後で最期の親子3人の思い出だ。


この3人の生活もほんの数日。このあと弟は地方に3泊4日の出張に行く。私は仕事をしながら母を一人で見ることになる。続きの検査の予定もある。残る私も、地方に行かざるを得ない弟も、再び大きな不安を抱えた。

もう9月に入る頃だった。あと1週間すると母は救急で運ばれることになる。

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