母が入院をすれば弟も自宅に帰るわけで、私は20年ぶりにひとり暮らしとなった。洗濯だの炊事だの掃除だの、母がコツコツしていることも全て自分がしなくてはいけない。
最近「これもかぁ」と思ったのは町内会の班の班長。回覧まわすのが主な仕事だって。こういうのもやってたんだなぁ、母は。
救急で運ばれてそのまま母は入院した。とにかく辛い痛みを取るのにだんだんと強い薬を入れられるのだろう。
運ばれた先は検査を続けていた新横浜の大きい病院。救急の際のリクエストどおり、そこに運んでもらうことができた。そこから、様子を聞いたりとか、持ってきて欲しいモノの確認とか、あとは今後についての面談とか、弟が毎日のように病院に通ってくれた。この間私はお見舞いには行けていない。コロナが流行ってきていたこともあって、その病院は家族でもお見舞いができないのだそうだ。毎日の弟の報告を待つしかない。弟だって様子を聞きに行くだけで会うことはできていない。
一人暮らしでする家事が増えたのはやや大変になったが、仕事の時間は仕事に集中することができた。母が入院していつどうなるかは分からいとは言え、何かあってもすぐに対処してもらえる環境にいられていると思うと安心感があった。
最初の弟からの報告では、痛そうにはしているけど話は出来ているよう。
母は以前からガンになっても治療はしないといっている。「その時」が来るまで、今後は緩和ケアを受ける事になる。弟の報告によると、その病院には緩和ケアに対応していないとのこと。いずれ緩和病棟のある病院に転院することになる。面談でそういう病院の候補をいくつか挙げてもらったようだが、弟は毎日お見舞いに行けるように自分の職場近くの病院を希望した。本来ベットが空いているところが優先されるので絶対に希望どおりというわけにはいかないのだが、結果希望の病院に転院できることになった。よかった。
ということでまず、9月7日(土)の入院から9月17日(火)の約10日間、母は検査を続けていた新横浜の大きい病院で過ごすこととなる。痛い痛いを繰り返し、眉間にシワを寄せて救急車で運ばれた母の姿が頭から離れない。ベッドに寝かされて点滴打ちまくって酸素マスクをつけられて・・・そんな痛々しい母の姿を想像した。痛み止めは入れてるだろうけど、それでかえって胃の方が辛くなっていないだろうか。痛いのが治まらなくて寝られてないんじゃないだろうか。
そんな心配をよそに、仕事中にLINEがピコピコって鳴る。
9月13日(金)
19:30 パンダの「大丈夫」スタンプ、パンダの「感謝です」スタンプがきた
19:33 羊の「お辞儀」スタンプがきた
なんと母から、ふっつーにLINEが来た。さっそく「ライン使えてるの???」と返信。一番下の叔父のうちの次女いとこが、むしろ私を心配して家に来てくれたことを報告した。家事も無難にこなしていることも報告した。
20:35 トイプードルの「はーい」スタンプ、そして「○○(いとこの名)優しい!」
痛み止めがあまり効かないという愚痴は添えられていたが、いつもの母の「連続スタンプ」で、「いる、ちゃんといる、母はちゃんと生きている」と感じられたひと時だった。
9月17日(火) 母は弟の職場近くの病院に転院し、緩和病棟に入る。
母の最期は転院から5日後のことだ。



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