母は医者とフレンドリーでして

なんやかんやと3人での生活は楽しかった。あの時はこの時はこうだったと子供の頃の話をしたり、親戚軍団の話をしたり・・・。まだこのブログには登場していない叔母(母の妹)の話などもして。。。この叔母は親戚軍団でもネタが豊富。だから溜め込んでいる。またの機会に叔母のエピソードは書こう。

そんな話の中、「もうそういうことになったし、3人で旅行しようか」と弟が提案する。3人での生活が初めてなのに、さらに3人で旅行に行くというのだ。手元に宿泊所の割引券があったので、せっかくだからそれを使おうと焼津旅行を計画した。母も「あたしもそこまで元気でいなきゃ」と楽しみにしていた。そして私は即予約。

計画していたのは9月28日(土)~9月29日(日)の一泊。残念ながら間に合わず母は亡くなった。なんのめぐり合わせか、9月29日(日)が母の葬儀の日になった。

そののち、その割引券を使った焼津旅行は私と甥の、母追悼の二人旅になった。


原発を探す検査はいろいろと計画されていた。大腸がん検査は検査前の食事がたいへんだったり腸内をきれいにする準備がたいへんだったり、すでに身体の弱っている母は「もういい」と言った。PET検査はするという。全身撮影で異常箇所を見つけるやつ。弟は仕事がより忙しくなってきていて、私が付き添い連れていく予定だった。

9月に入ると母の痛みはさらに増す。歩けなくなると困るからなにか食べなくてはと、少ないながら食事はしていたので立てなくなるということはなかったのだが、痛みが厳しくてまっすぐ身体を起こして立つことができない。そのままでは姿勢を保ちづらい母は、寝床やキッチンの椅子からは伝い歩きで移動していた。祖母の使っていた杖も使うようになった。

9月2日(月)はPET検査の予定だったが、台風が来るかもということで当日キャンセルして金曜に延期してもらった。ちょっと私の不安が膨らむ。弟が9月4日(水)から地方に出張に行ってしまうのだ。弟も同様に心配していた。

「こういうとき他の人たちはどうしているんだろうか?」と弟は言う。

弟は職人なので、誰かに仕事を代わりにしといてと簡単に言えない。自分にしか出来ない仕事を持っている。親がそういう時だってどうしても仕事に行かなければいけないのだ。自分がいない間に何かあったら…弟の不安は私にもものすごく伝わった。「なんとかなるように祈るしかないな。どっちにしてもなにか起きれば連絡するから」と言うしかない。そんなことを言ったところで、連絡したってすぐに駆けつけられるわけではない。私の不安だって爆発しそうにMAXだった。

~~ちなみに今日の記事はここからが長い。~~

そんなMAX状態の時にある事件が起きる。それは9月3日(火)のこと。

弟は仕事に出ている。私は自宅で作業をしていた。業者が来る事があり、いつもなら事務作業スペースとキッチンの間のドアは閉めておく。しかし母の様子を気にしておかなくてはいけないので、開けっ放しで作業をしていた。そしたら奥の母の部屋でガタガタ音がする。のぞいたら母が着替えている。急にどうしたのか?

「腰が痛いから外科に痛み止め打ってもらってくる」

えええ、一人じゃ無理でしょ。伝い歩きして室内移動する人よ?ムリムリ。本人は買い物のカートを押していくから大丈夫だというが、私は急いで作業の手を止め、外科へ行くのに付き添った。でも確かにカートを押していくとラクなようで、私は後ろをついていくだけで大丈夫だった。

以前の記事にもあったように、神経系の注射はすぐには打ってくれない。母は外科に着いて、まず背骨のレントゲンを撮った。レントゲン技師のお姉さんはすごく優しい人で、まっすぐ立って歩くのが困難な母を歩きやすいように支えてレントゲン室に向かってくれた。

撮った画像が先生の元に届くと診察室に呼ばれる。母は一人で向かったのだが、看護師さんから「御家族の方も来てください」と呼ばれた。え、なんか一大事?と緊張しながら私も入室する。一大事って既にもう一大事なのに。

先生は過去に撮った画像と今回の画像を並べて母と話す。

「○○さん(母の姓)圧迫骨折だよ~骨が詰まっちゃってるもん」「あら~そうなのぉ??いつそうなったのかしら、記憶ないんだけど」「これはもう安静にしておくしかないよ」「痛みがひどいから何とかして欲しいのに」「よっぽどひどければ注射も打てるけど、いまガンの検査中なんでしょ?(母はリハビリの時に外科の先生にちゃんと話していたらしい)そう簡単に打てないよ」「痛みがひどすぎて安静になんかしてらんないから、せめて痛み止めの薬くらいくれない?」「痛み止めは内科の方でももらってるでしょ?俺が処方箋出したところで薬局がくれないかもよ」「まあとりあえず薬だけでももらっていくわ(つまり処方箋は出せってこと)」

うちの母っていつもお世話になっている外科や内科の先生たちとこんなフレンドリーなの?

そのフレンドリーさがちょっと面白くなってくるほど、なぜか口だけは元気な母と外科の先生の会話は軽快だった。案の定薬局に行っても痛み止めはもらえませんでしたがね。

圧迫骨折と診断した先生。当然その時に分かっていたんだろう。だから注射も打たず薬も出さず、そのままにしてくれたんだと思う。何を分かってたって、その痛みも骨が詰まっていたのも、ガンの骨への転移だということを。

杖がわりに押していたカート。しかしそうじゃなかった!母は外科を出たあとそのままスーパーに向かうつもりだったのだ。「ええええ!今からいくのぉ!!??」私は半ば叫びのような声を上げてしまった。私を無視してスーパーに向かう母。「○○(弟の名)が帰ってきたら車出して買ってきてもらえばいいじゃん」といっても聞かない。「○○ちゃん(弟の名)に頼んでも、何がどこに売ってるかわからないからかわいそう」とスーパーに入っていった。

買い物を終えて無事に家に着きそうな頃、弟が仕事を終えて帰ってきた。

私はそれとなく感じていたが母も感じていただろうか。いつものカートでいつものスーパーでいつもの買い物。その買い物が最後買い物になるということを。

この次の日には弟が出張に出る。不安は膨らむが何も起きないことを祈るしかない。しかし進行が早いと言われた母のガンは本当にその通りだった。そういうガンであると告知されたから1週間程度で母はどんどん身体が動かしづらくなっていった。

母の救急搬送まであと4日。

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