ホルモンが美味すぎまして

私が今ひとり暮らしなので、全然連絡しないと弟に心配をかける。先日はいきなりLINEで寒い中必要な灯油はまだあるか?と連絡をくれた。

今日はその弟の家に顔を出した。先週弟の娘、私の姪が誕生日だったのだが、年末私の誕生日を祝ってもらったのにお返しをしていなかった。姪に食べて欲しいスイーツを買い込んで、さらにビールといちごのお土産を持っていった。しかしかえっていろんなご馳走をいただいてしまって、久々ににぎやかでいい時間を過ごさせてもらった。弟宅のワンコも可愛い。

というところでなぜかタイミングよくいとこからLINE。このブログを見ているそうだ。身内の誰にも話していないのにしっかりチェックしているいとこ。母の兄弟の一番下の叔父のところのいとこだ。私はこのいとこをイジってからかって遊ぶのが好きだ。ヤツはいい受けもする。


8/11日の祖父の十三回忌のお墓参り。本家の叔父宅を出て一番下の叔父宅に向かう。相模原から町田への移動だが、相模原の町田側の端っこから、町田の相模原側の端っこなのでその距離は近い。ちょっと迎えに来られないかと前出のいとこに連絡する。

○時ごろに行けそう、いやもうちょっとかかる、○時ごろになっちゃいそう、彼氏も一緒だけどいい?、やっぱパパに連絡して。(ま、いつもそんな感じのいとこなので、こっちはびっくりもしない)結局パパに連絡してってことで、私は叔父に連絡した。向こうの最寄駅まで行けば迎えに来てくれるそうだ。

祖父の十三回忌をどうするかという時期に、本家の義叔母には母の調子が悪いことは伝えていた。しかしこの一番下の叔父には伝えていなかった。駅で待っていて叔父の車が来て、ドアを開けて出てきた叔父が最初に言ったのが「○○(私の名)が急に来るの珍しいな。○○ちゃん(母の名)なんかあった?」

やっぱり兄弟というのは不思議なものだ。母が何かあったことを先に感じていた。

この一番下の叔父は私とさほど年齢が変わらない。だから幼少の頃は兄弟のように育っていた。叔父というより兄のような存在だ。私が社会人になってからは年数回の長い休みの時しか会えなくなったが、昔はずっと一緒に育ったような気がする。遊びに行くたびにこの叔父も歓迎してくれる。もちろん叔父の妻、つまり義叔母も。

叔父と母と歳が離れているのは異父兄弟だからだ。実祖母が再婚してから生まれた母の弟。だから母も息子のような気分で見ていたのだろう。可愛がっていたのもあるけど、母は良く叔父を説教していた。それをちゃんと聞かない叔父も面白い。それに、叔父のうちの子たち(私のいとこたち)が入園やら入学やらのイベントが入ると母が参加していた。もう何年も前の話だが、いとこ達はそういう場にうちの母がいたことを、当たり前のように思ってくれていたのではないだろうか。そのくらいのレギュラー。

一番下の叔父の家には、叔父&義叔母と同居の前出次女いとこがいる。それに千葉にいる長女いとこファミリー(いとこ・夫・男子・女子・男子)と、叔父とともに仕事をしている長男いとこ(いとこ・妻・男子)もいる。この叔父のファミリーだけで11人!

本家叔父家と合わせて21人。読んでいただいている皆さんにも、うちの親戚軍団の軍団具合が伝わってきていると思う。

話は戻って叔父の車の迎え。車中で母の調子が良くないことと、エコーですい臓が見えてびっくりした話と、検査でリンパ腫の可能性があると言われた話を報告した。叔父は「やっぱりそんな話か…」という表情だった。本家の叔父がガンで亡くなって、母と同様に落ち込んでいた一番下の叔父。母も大きい病気の疑いがあると聞けばやっぱりショックだったのだと思う。

「でも元気は元気なんだろ?」

確かにそうだ。母はまだ元気は元気だった。しかしその叔父の言葉は母の病状確認というより、大丈夫だと自分に言い聞かせているようだった。

叔父宅に着くと長男いとことその息子がいた。奥さんはお仕事でお出かけで、長男いとこがしっかり息子の面倒を見ていた。長男いとこはいとこ達の中で一番下だから、私の中で彼は昔の小さい時のイメージのまま。それがしっかり子育てしているもんだから、えらい!と思って感動してしまった。息子も恥ずかしがりはするものの、ずっとニコニコしていて愛想のよい子だ。

そんな中、私は叔父に連れられガレージに向かう。ガレージを開けるとそこは呑みスペースだった。ビールやチューハイのサーバーもある。焼酎たちもいる。テレビも観られる。コンロをセットすれば焼きモノもできる。叔父は私の好きなホルモンを用意してくれていた。ほんとに、マジでマッジぃでホルモンが好きだ。叔父さんさすが、ナイスプレー!(さっき本家でご馳走をいただいてきたのに、ホルモン別腹)

ちなみに母は、この叔父宅にいると私に「帰ってくるな」と言う。なぜなら叔父と一緒にたっぷりお酒を飲んでしまうからだ。心配だから泊まらせてもらって明日帰って来い!というのが定番だ。その時も同様に母からLINEが来る。

そこで私は母に電話をした。迎えに来てくれた時の叔父のショック具合が気になっていたからだ。「元気は元気だった母」の声を聴けば安心すると思った。叔父と電話を代わってしばらく母と会話していた。電話から母の声が漏れて、何喋ってんだか全聞こえ。「あの子帰らせないで!泊めて!」と叔父に話している。

電話を切った叔父は言う。「○○ちゃん(母の名)、元気そうじゃん、大丈夫だろ」

今度は自分に言い聞かせる言葉ではなかった。安心してくれた「大丈夫」だっただろう。


母は最期、我々子供たちとともにこの叔父たちファミリーに看取られた。大好きな人たちに送られて幸せだったと思う。いよいよその時が来たと集まったわけではない。本当にたまたまこのメンバーがそろったところで逝った。

また今度、その時の状況はここに記録するつもり。

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