昨日の記事で、いよいよ叔母の話を書くと予告したのだが、早々と書いておいた下書きの原稿がぶっ飛んだ。正確に言うと自分がその下書きの存在を忘れて、「なんだこれ?」って思って完全削除してしまったという事故。
叔母の葬式への参加の仕方に疑問を感じていることを記事にしようと思ったのだが、それは書くなという母からのお告げだったのかも。もう少し時間を置くことにした。すんまへん。まもなく母の散骨式の記事あげます。今日は小休止。
うちのオカンが死にました~~~~~!!!みたいな大発表をしてこなかった。だからご近所にはその情報がじわじわ伝わっているようで、「お母さん亡くなったんだって?」と半年経った今でも声をかけられることがある。
先日のやや早い時間、今は家の不用品を売りまくっているメルカリでまた商品が売れたので、郵便局に発送しに行った。その帰りにコンビニに寄ってタバコを買い、家に向かう途中のことだった。
「わかる?」
身体は小柄なのにでっかいマスクをしたおばちゃんに声をかけられた。わかるわかる。おばちゃんにはなっていたけど雰囲気全く変わってない。声をかけてくれたのは小学校の時の同級生だった。「お茶屋のあっこ」。
うちはそもそも祖父母が理髪店を営んでいたので、私は商店街の中で小学生時代を過ごしてきた。左隣が病院で右隣は風呂屋。うちの前の通りにはテーラーとたわし工場、なんでも屋(今でいうコンビニ)があった。車通りに出ればラーメン屋、クリーニング屋、下駄屋、八百屋、米屋、電気屋、寿司屋、靴屋、酒屋、なんでもあった。残念ながら今は、うちも含めてどれも残っていない。(ちなみにうちのじーちゃんは商店街会長だった。どの店も後継がいないままの店じまい。)
交差点を挟んで向こうにも商店街は続く。また別の商店街ということになるのだが、そっちは代替わりなどしていまだ残っているお店がある。でも、そちらの方でも既になくなってしまったお店が多々あって、そのお店の子供たちが同級生で遊び仲間だった。そのうちのひとりが「お茶屋のあっこ」なのである。
なぜお茶屋のあっこと呼ぶかというと、お菓子屋の方もあっこだったからだ。呼び分け。
あっこのお母さんがやっていたお茶屋はお茶屋でなくなって、いつの間にかネイルサロンに変わっていた。聞いたらあっこの娘がネイルをやっていたのだそうだ。そのあっこが「お母さん亡くなったんだって?」と声をかけてきた。
あっこはお店を継がず、近所の処方箋薬局の受付をしている。だから内科や外科で薬を出してもらうとたまに受付があっこだったりした。何よりお世話になっていたのは定期的に薬を出してもらっていたうちの母だ。それで母が亡くなった話を聞きつけ、心配して声をかけてくれたらしい。
で、君はなぜここにいるの?君の薬局はあっちなのにと思ったら、なんと私の自宅近くの薬局に移籍したのだそうだ。
「いま地元に居るのはうちらくらいだね」「ああ、あと渡辺もいるよ。宮原くんも」
学年で三本の指に入る優等生だった渡辺。才女。渡辺は今、私の外科のリハビリのサポートを担当している。宮原くんは私と同じく、おじちゃんおばちゃん病で外科のリハビリに通っているのだ(笑)。
あっこのお母さんは今、大病を患って入院中だとか。自分たちも親がそうなるような歳になったんだねぇと話す。でもやっぱり親だから、そろそろそういうこともあるだろうと受け止められるものだが、同級生が亡くなるニュースを聞くと相当びっくりするし相当悲しくなる。
また一人、同級生が亡くなったと聞いた。
数年前にフルーツ屋の同級生が突然死んだ。数少ない「家業を継いだ同級生」だった。それに加えて最近、同級生がもうひとり亡くなったらしいとあっこから聞いた。地域は“となり町”って感じだったけど昔よく遊んだやつ。ほんの3年くらい前にSNSを通じていきなりメッセージをくれたやつだ。夜のお店業界に携わっていたようだから、酒の飲み過ぎとかなのかな。
歳を重ねたとは言え、まだまだ逝くには早すぎる。もうそういう話をしなきゃいけない年代に入ったんだねぇとあっこは言うが、小学生の頃、どっかにみんなであつまっちゃあ遊んでいたあの頃のメンバーが亡くなるとなれば、本当に悲しい。
母の最期にも学んだ。健康でいることと健康であることの確認、つまり検診は行かなくてはいけない。家族、身内はもちろん。同級生にもまだ、死んだら悲しませてしまう人が居る。
いきなり起きた出来事を記事にしたのでイマイチまとまりのないものにはなったが、要は同級生が元気だって聞けば自分も元気になれるし、同級生が死んだと聞けば自分も不安になるということだ。このブログを発見した同級生は、Xでもインスタでも「元気だ」って連絡ください。
(あ、mixiもまだアカウント残ってる気がする)


